アフリカ ギニア ボッソウ村での「緑の回廊プロジェクト」滞在記 準備編(9) 国内での予防接種に挑む 2

2005年10月6日、この日は二回目の破傷風とA型肝炎の予防接種です。
もう、建物を目の前にしても驚かない、2回目ですから。検温、問診、受付を済ますといざ予防接種。
「あ、こんにちは・・・」先日、予防接種をうってくれた男の先生がマスクを外してウロウロしておられ、挨拶をされました。
すると処置室から「こちらにおかけ下さい」の声。今日の先生は若くて、おそらくは美しい女性(マスクしてるから、わからなかったのが残念です)。
「この前、注射の後、具合悪くなりませんでしたか?」「大丈夫です」「え~っと、入院歴があるということですけど、それは・・・」(省略)
「利き腕は右ですか?」「はい、基本的には・・・」「じゃぁ、右腕に腫れにくい方を打ちますから・・・」「じゃぁ、注射打ちますね~」
と、消毒から。そして消毒をしたところ、上腕三頭筋のあたりの皮膚をつまむ。何してるのかと思いましたが、
後日、注射の痛みを感じさせないようにするための処置のようだと知りました。「はい。ちょっとチクッっとしますよ~」の一言の後、「ブスッ」
「あれ?痛い・・・」
これって、皮下注射の方だと思うのだけれど・・・この前こんなに痛くなかったように記憶していますが。
「じゃぁ、左も打ちますからね」
確か、この前は、破傷風とA型肝炎の予防接種の間には結構インターバルがあったような・・・と思いながら再び消毒。
また消毒をしたところ、上腕三頭筋のあたりの皮膚をつままれ、
「はい、じゃぁチクッとしますよ~」の一言の後、「ブスッ!」
「う、さっきよりもさらに痛い・・・」
骨も折った、骨髄注射もした・・・結構痛いことには慣れて、そんじょそこらの注射じゃぁ、「痛い」なんて思わない。
献血だって、痛いなんて思ったことはないのですが、今日のは痛い・・・
そして最後に、絆創膏を貼ってくれたのですが残念ながら場所がずれてました。
若くて美しい女医さんでしたがちょっと残念な思いをしました。
(この日の記事は、まったく意味のない情報に終始してしまった・・・)

2005年10月13日、いよいよ最後の予防接種、黄熱病。例によって高槻予防接種センターです。
さすがに建物をみてももう驚きはありません、なんと言っても1週間前に来たばかりです。
ところが、ドアを開けると、人人人・・・。この前までは、ほとんど人がいなくて、まさに暇そうだったのに・・・。
様子が全然違う。係の人も忙しそうにバタバタ・・・。
例によって、検温して、問診票を書いて・・・でも、受付がかなり忙しそうで、なかなか受付が進みません。
何とか受付が済むと、「あの~、収入印紙ちょうどじゃないんです」
そう、予防接種の手数料は収入印紙で払わないといけないんです。黄熱の予防接種は8530円(2005年当時)。
しかし10円単位の収入印紙ってよほど大きな郵便局へ行かないとないんです。
「じゃぁ、20円を放棄しますっていう申述書を書いて頂く必要が・・・」さすが、このあたりはお役所です。
きっちりしないといけない。申述書を書くと、受付完了。私のの受付番号は15番です。
私の順番の直前の人が、パーテーションの向こうへ消える。パーテーションの向こうから話が漏れ聞こえてくる。
「あの~、先生、予防接種大丈夫でしょうか・・・」「大丈夫ですよ」
「でも、幼児とか高齢の人は気をつけるように、って書いてありますし、注射の後30分は連絡が付くようにと書かれていますし・・・」
「今回の注射は生ワクチンなので、注射をした直後よりもむしろ2,3日経ってからのほうが気をつけて頂きたいんです。
10日くらいまでは無理しないようにして頂ければ大丈夫です」「でも、アレルギーも・・・」
「今回のは生ワクチンなのでアレルギーが出ることはまずありません」「でも、幼児とか高齢者は気をつけるようにと・・・」
予防接種を受けるには、承認書にサインが必要なのです。これがないと、先生も「黙って注射されてりゃぁいいんだよ」
ってな具合に縛り付けて、無理矢理ブスッ、っていうわけには行かないのです。
「確かに、日本でアナフィラキシーショックらしき症例は1例だけありました。
でも、たった1例なので本当に予防接種が原因かすらわからないんです。
でも、日本だけでも何十万人というひとが黄熱の予防接種を受けていますし、世界では何千万人という人が同じワクチンを注射しています。
その何千万という例の中から、幼児と本当の高齢者の方にショックがあったということで注意させて頂いているんです」
「わたしも○○歳ですし・・・」(聞こえないが、60歳を少し過ぎたくらいかと・・・)
「でも、お話を伺っていると運動もされているようですし、それくらい元気な方なら大丈夫です」
(どうやら問診で、何らかのエクササイズに通っているかなにか伝えていたらしい・・・)「でも・・・」
この様子では、僕の順番は回ってこない。
先程まで忙しそうにしていた係の方も仕事が途切れたらしく、ぱちっ、ぱちっ、と三色ボールペンをならして、ボーっとしている。
ちょうど、私も暇だし・・・「今日はお忙しそうですね」「そうですね~」
「私は先週もここに来てるんですけど、こんなに人がいなかったのでびっくりしましたよ」「あ、先週も来られた・・・」
「ええ、A型肝炎と破傷風の予防接種に」「じゃぁ、午前中ですね」「はい。午後からは黄熱だけですか」「ええ、いろいろあると先生も混乱されるので・・・」
「そりゃぁそうですね」「でも、先週じゃなくて良かったですよ。先週の黄熱は40人以上来られてましたから、今日どころの騒ぎではなかったですよ」
「え、そうなんですか。ちなみに今日は・・・」書類をくって調べ出す・・・「28人ですね」
そんなにきちんとした答えは別に期待してなかったんですけど・・・ただの世間話ですから・・・さすがは公務員、きっちりしておられます。
私なら、30人くらいですかねぇ、で済ませてしまうと思います。
「ところで、長谷川さんは収入印紙を買ってこられてたんですね。予約しておけばここの2階でも買えたんですよ」
確かに予約の時に「じゃぁ、収入印紙はこちらでご用意しましょうか?」っていってたもんなぁ・・・
でも、もうすでに買ってしまっていたんです、泣く泣く20円を諦めて・・・

「いやぁ、10円単位の収入印紙ってなかなか売ってないですからね」「そうですね」
「いや、ほんとに申し訳ないです」「そんなに、恐縮して頂くほどのことでもないですよ・・・」
「いやいや、ご迷惑おかけして。システムの問題ですね」

しばらくして、「15番の方」と呼ばれました。最初に予防接種をしてくれた男の先生でした。
あの、きれいなお姉さんじゃなくてホッとしたのがちょっと悲しい・・・
「じゃぁ、左腕に注射しますから、良かったらサインを・・・」
近日中に何回か予防接種を受けているというカルテがあるからか、特に説明もなく、すぐさまサイン。
それから消毒。「じゃぁ、チクッとしますよ」の一言。ちょっとドキドキしながらの注射。
「おぉやっぱり痛くない・・・」腕が違うんですかね~。
「では・・・」
このとき先生は今日初めて顔を上げて私と目を合わす。どうやら、事後説明をしようとしていたらしいです。
「あ、この前私が注射した方ですよね」(この前って、先生に直接注射してもらったのは1ヶ月前です)「あ、はい」
「じゃぁ、この前説明させて頂いた通りですから。あ、いま廊下の突き当たりで渡航先での注意事項とかを説明させて頂いてますから。
もう途中だともいますがこの前説明させて頂いた内容と一緒ですから、入っちゃってください」
廊下に出ると先に出たなかなかサインなさらなかったご婦人が説明に入るために待機中。
(予防接種が終わった人が5~6人集まってグループで説明を受けている様子)
さすがにご婦人よりも先に、しかも途中から参加するのも悪いような気がしたので、待つこと。
そして、僕たちのグループの時の説明には先生が来てくれました。
生ものは食べないように、とか、予防接種の後10日くらいは無理しないようにとか・・・ご婦人に説明していた内容とほとんど同じです。
ご婦人は、先ほど聞かれた話をウンウンと初めて聞く話のごとく目を輝かせながら話を聞いています。
わたしは、「こういう人が一番危ないんだよなぁ、きっと。右から左ですよ、たぶん。
予防注射がそんなに怖いなら、黄熱が伝染しているようなところに行かなきゃいいんですよ。
どうみても「仕事で・・・」って感じじゃないもん」なんて勝手に失礼なことを思いながら話を聞いておりました。
黄熱は生ワクチンなので軽く黄熱に感染した状況になって、それで免疫力をつけるようなのです。
この注射1本で10年間は黄熱に感染しないとのこと・・・。注射から10日が経過すると効果が現れ、証明書も有効となるそうです。
そうです、黄熱の予防接種をうけると世界共通の証明書(イエローカード)が発行され、
場所によってはこの証明書がないと入国・出国できないそうなのでパスポートと同じくらい大事なものとなるんです。
ものをなくしやすい質なので、気をつけないと帰ってこれなくなる・・・

この日は、「仕事じゃない」っていう雰囲気の人が他にもいました。
チャイナドレスよりも激しいサイドスリットが入ったスカート(むしろ、2枚の布を脚の前後にぶら下げた、っていう感じ)、
胸元が大きく開いた服(これまた、1枚の布を上手に体に巻いて、胸元だけは大きく開けた、という感じ)
を着たイケイケの感じの女性も黄熱地域に行くのか~なんて感心しました。
実にいろんな人が黄熱病地帯に行くんだなぁ、と思ったと同時に、自分だけじゃないんだなぁ、と変に勇気づけられた一日でした。

アフリカ ギニア ボッソウ村での「緑の回廊プロジェクト」滞在記 準備編(8) 国内での予防接種に挑む 1

2005年9月15日、予防接種に行くことになり、高槻予防接種センターへ。
できるだけ公共交通機関で来るようにと書かれていましたが、電車で高槻に、といわれてもかなり遠回りになると思われたので愛車で出かけました。
車で来る場合は大阪医科大の駐車場に止められます、とあったので大阪医科大の駐車場へピットイン。
大阪医科大は工事中でしたが、さすがに見るからに立派。
「さて予防接種センターはどこ?」と探していると不安を覚えるような小さな建物。でも、小さな看板が出ているので間違いはない・・・
おそるおそる中へはいると、受付が。体温を測って、問診票を書いて・・・。
今回は破傷風とA型肝炎の予防接種第一回目です。破傷風の予防接種は幼い頃に三種混合でやったから大丈夫、と思っていました。
死ぬまで大丈夫なのかと・・・。
皆さんご存じでした?
三種混合の後、12歳頃に定期予防接種を行い、その後20歳前後までは効力があるが、その後は免疫力が低下するので追加接種が必要なことを。
担当者は、まず12歳頃に破傷風の予防接種をしたという記憶がなく、その上20歳を超えると免疫がなくなりつつあるなんて、恥ずかしながら知りませんでした。
牛田先生は、私の仕事柄、土をさわることも多いので、破傷風はすでに予防接種済みであると思われていたそうです。
ということは、免疫力がない状態で土と戯れていたと・・・ちょっと怖い気もしますね。
だって、知ってました?免疫力が低下するって事・・・10年間隔くらいで追加接種した方がいいそうです。
何はともあれ、予防接種に関する知識を得たことと、破傷風の予防接種ができたことは今回の収穫のうちの一つでした。
破傷風というのは日本でも普通に生息している菌から発病するので、日本在住でも免疫力があったのに越したことはないですからね。

 破傷風の予防接種は皮下注射なので大して痛みもないので、接種されることをお勧めしますよ。ちなみに、お値段は1回3500円(2005年当時)。
人によっては2~3回の接種は必要になりますが・・・でも、支払いが収入印紙・・・これがめんどくさいんですよね。
A型肝炎は食べ物から感染するとのことなので念のために接種することにしました。
これはどうやら筋肉注射だったようで、破傷風の注射と比べると少し痛みが強かったのですが、泣くほどのものではありませんでした。
感じ方には個人差もあるでしょうけど・・・
個人的には小学生の頃脊髄注射をしたことがあり、これより痛い注射というのは経験したことがないもので・・・これはホントに痛かった。
骨折するよりも痛いと思います。最近は(大人は?)麻酔をかけてから脊髄注射をするようですが・・・話がそれてますね。
ここの注射をしてくれた先生は、暇だったのか、破傷風や黄熱病、A型肝炎の英語の論文を出してきていろいろ話をしてくれました。
30分くらい話し込んでいたかもしれません。もしかすると、しばらくの間、体調の変化がないか観察する意味でお話をされていたのかもしれません。
場合によってが、過剰反応する人もいるらしいですからね。いわゆるアナフィラキシーというやつです。
ともかく、徐々にギニア行きの準備が進んでいます。
破傷風とA型肝炎はもう一度追加接種をする必要があり、それが終了してから、黄熱病の予防接種が控えています。
これが終われば、とりあえず体の準備が整うということです。
あ、後一つ、マラリアの予防がありますね。これは、薬を飲むことで予防するそうです。普段全く薬を飲まないので、忘れないようにしなければ・・・

後日談
予防接種を行った翌日、朝起きると腰が痛い・・・もともと腰は弱くて、常に腰痛を抱えたような状態なのですが、いつもと感じが違う。
「怠くて、重い」という感じの痛さ。倦怠感と痛みというところでしょうか。
副作用として倦怠感などがでる事もあるといわれましたが・・・副作用なのでしょうね、これが・・・。
3日くらい腰の痛みがあり、同じ姿勢で長時間いるのが耐えられない。座っていてもダメ、寝ていてもダメ。おかげで、連休はぐったりしてました。
でも、病気になるよりはましですからね。
また、追加接種があるので、場合によっては副作用との戦い(大したものではないですが・・・)があると思うと、少しばかり憂鬱です。

アフリカ ギニア ボッソウ村での「緑の回廊プロジェクト」滞在記 準備編(7)

2005年8月29日
毎日新聞の記者の山田大輔さんとお会いすることになりました。
山田さんはかつてボッソウを訪れたことがある方ということでお忙しい中時間を作って頂いてお話を伺うことになったのです。
松沢先生からお話は伺いましたが、ボッソウについては「緑の回廊プロジェクト」のホームページや、
山田さんのホームページ「進化の隣人と暮らす」(2017年9月現在、残念ながらページは封鎖されているようです)
にて写真を見たくらいで、あまりにも情報不足だったので、
チンパンジーではなく純粋にボッソウの情報を入れるためにわざわざお時間を頂きました。
愛知万博の会場に詰めているとのことで愛知万博会場に行きました。

万博会場に訪れたのは実はこの日が初めて。この日の来場者は15時現在で12万人だそうです。
12万人?そんなに来てるの?
正直、入園料だけでも結構高いと聞いたことがある私はまったく行く気がない、
という状態だったので仕事でもなければおそらく来ることはなかった万博。
そこにそんなに人が来ているなんてちょっとした驚きでした。

それはともかく、山田さんにお話を伺いました。
愛知万博内のプレスセンターでお話を伺いました。
入場の際に【報道関係者】のカードをもらっていたので、なんだか、自分までジャーナリストになった気分です。

「ギニアのボッソウ村は比較的豊かな村ですよ。」

取材で撮ってこられた写真をみせてお話ししてくださる山田記者。
たしかに、村人のほとんどが服を着ているし、履き物を履いている人が多いのです。
人々の表情も豊かで明るい印象があります。

「現金収入は少なくても、食べるのには困らないんですよ。」

とのこと。
なるほど・・・やっぱり食べる事というのは人が生きていく上で根幹に関わることだから、
ここがしっかりしていると余裕が生まれるんですね。
また、週に一度市(マルシェ)が開かれるようで、活発な村。外国の製品もいろいろ入ってきているようです。
中国製が多いらしいですけどね。こんなところにも、中国製とは・・・さすが。
私が想像していたよりもずっといろいろなものがあるんです。
野菜から服飾品、日用雑貨まで。
さすがに日本と同レベルというわけにはいかないのですが、思っていたアフリカとは違う。

「ここでは英語がほとんど通じないのが困りましたね。ほとんどの人がフランス語を使うんですよ・・・」(山田記者)
やっぱりフランス語か、と不安。
「コートジボアールから来ている人の中には英語が分かる人がたまにいるんですけどね・・・」(山田記者)
やっぱりフランス語は必要なのかぁ、とやっぱり不安。
「ボッソウ村という場所はそうそう行けるような場所ではないですから、いい経験をされると思いますよ」
「何か分からないことがあったら、気軽に聞いてください。先生方には質問しにくいようなことでも私になら話せることもあるでしょうし・・・」

新聞記者の方とお話しさせて頂くのはこれが初めてだったのですが、とても感じの良い人でした。
ボッソウ村は人を穏やかにする何かがあるのでしょうか・・・私もボッソウに行くと穏やかな人物になれるのでしょうか・・・。
いろいろな人々に話を伺っているうちに、自分がギニアへ行くのだ、という感覚が強くなってくるような気がする・・・。
それにしても、やっぱりフランス語・・・ここがネックです。
ぼちぼちフランス語の勉強でもしましょうか・・・最低限の挨拶くらいはできるように。
まずはそこからでしょう、ね。

初めてみる万博会場。
人人人・・・とてもパビリオンに行くような気にはなれず、会場をぐるっと一周して帰ってきました。
もったいないと思われるかも知れませんが、残念ながらそんな余裕もなく・・・
だって、ギニア共和国です。それが気になって・・・。

フランス語の簡単な辞書を買いに行きました。
仏和辞書はたくさんあるのですが、和仏辞書というのはなかなかなくて困りました。
コンサイスの和仏・仏和、デイリーの仏英和・和仏英がありましたが、コンサイスには発音記号すらない。
これは大変ですよ。
だって、発音の基本も知らない私には発音記号がないと読めない。
デイリーの仏英和・和仏英は発音記号はなく、なんとカタカナ表記。
でも、読めないよりはましかとそちらを選択。すこしでも、フランス語になじむべし・・・できるのかなぁ。

(続く)

アフリカ ギニア ボッソウ村での「緑の回廊プロジェクト」滞在記 準備編(6)

【京都大学霊長類研究所 松沢先生を訪問する】2005年8月15日 Part2

この日、(松沢)先生にお昼ご飯までご馳走になってしまいました。
犬山の名物らしいんですが、豆腐の田楽の定食を出しているところがあるということで、先生の車で連れて行って頂きました。
結構、有名なお店らしく駐車場は車でいっぱい。お店は古くから営業されているような、まるで町屋のような建物。
その中で多くの方々が食事中。我々もその中に混じって食事を頂きいろいろな話を伺いました。
ギニアでの生活、チンパンジーのことなどなど。松沢先生とお話ししていて、
徐々にギニアへ行くのかなぁ・・・と少しずつ実感がわいてきた。そんな感じです。
松沢先生に別れ際に「長谷川さんは外国語は?」と聞かれ、
「英語は何とかアップアップでも会話ができますが・・・大学でドイツ語は習いましたが会話はとても・・・」
と答えると・・・「向こうはフランス語圏ですから是非ともフランス語に慣れてください」と先生。
フ、フランス語ですか・・・長年学校で習ってきた英語でもろくに会話ができないのに?
習ったこともないフランス語・・・不安だなぁ・・・
でも、「なかなか行けるようなところではないですから・・・。素晴らしいところですよ」とすてきな笑顔で先生に言われてしまうと、
「確かにその通りだなぁ」と思ってしまいました。
でも、フランス語かぁ。語学、苦手なんだよなぁ、と不安がまた増えた気がする一日でもありました。

 松沢先生にはボッソウのチンパンジーに関する論文集と、
松沢先生がお書きになった「進化の隣人 ヒトとチンパンジー」(岩波新書)まで頂きました。
論文集は専門的なもので、さすがに植物に関するところをちょっと目を通した程度ですが、
進化の隣人 ヒトとチンパンジー」(岩波新書)は完全に読破。
とてもわかりやすく、とてもおもしろい本でした。
興味のある方は是非とも読んで頂きたいです。
松沢先生をはじめとして、霊長類研究所の方々はチンパンジーを数えるときには○人と数えておられました。
進化の隣人 ヒトとチンパンジー」(岩波新書)を読むとその気持ちが十分に分かるような気がしました。

テレビで放送されている「志村動物園」という番組を皆さんはご存じでしょうか?
時間的にとてもみられる時間ではないのですが、ビデオを撮ってみています。
チンパンジーのパンくんと犬のジェームスくんのお話ですが、とてもおもしろく、驚きでいっぱいのコーナーがあるんです。
チンパンジーの知識レベルの高さと、想像力の豊かさには驚かされます。
犬のジェームス君もかなりの賢さ・・・ヒトとして見習わなければならないところも多くあるような気がします。
進化の隣人チンパンジー・・・チンパンジーにいつか追い越されて「猿の惑星」のような世界にならないように、
ヒトがヒトとしてあるために何をすべきか・・・少し考えさせられます。
ちなみに、「パン君」は松沢先生にとってNGワードであるらしいです。
研究しておられる方に伺いました。
あれはチンパンジーの知識レベルの高さはうかがい知れるが、チンパンジーがチンパンジーらしく生活できる機会を失っている、
ということらしいです。たしかに、パン君が野生に戻れる気はしませんねぇ・・・。

続く

アフリカ ギニア ボッソウ村での「緑の回廊プロジェクト」滞在記 準備編(5)

【京都大学霊長類研究所 松沢先生を訪問する】2005年8月15日

2005年8月15日、京都大学霊長類研究所の松沢先生の研究室を訪問しました。
緑の回廊プロジェクトを中心的に行われているのが松沢先生なので、
是非ともお話しさせて頂こうということで、お盆の最中訪問しました。
霊長類研究のチンパンジー「アイ」ちゃんがいるところです。
天才チンパンジーとして有名な、あの「アイ」ちゃんです。

松沢先生は生活のほぼすべてをチンパンジーの研究に注ぎ込まれている先生です。
研究者だから、お堅い感じの人・・・という先入観は正直ありました。
でも、松沢先生は悟りを開かれているような穏やかな方でした。
物腰柔らかな話し方。テレビで観る先生そのものという感じでした。
ボッソウで撮影された写真でチンパンジーについての話をしてくださいましたが、
本当にチンパンジーが好きなんだなぁ、という印象を受けました。

そして私、おそらくはじめて実物のチンパンジーをみました
(子供の頃にもしかしたら動物園で観たことがあるかも知れませんが記憶にありませんでした)。
チンパンジーって結構大きいんですよね。
体重は成人男性並みの60~70kgくらいはあるとのこと
(記憶が確かならば、ということですが・・・)。
背の高さはそれほどではないのですが(120cmくらいでしょうか)、体格がいいのです。
肩幅も広く、筋肉質。野生動物の力強さを感じました。一瞬、ゴリラかと思うくらいの迫力でした。

また、このチンパンジーの中にアイちゃん
(NHKなどで紹介されている天才チンパンジーのアイちゃんです)がいると思うと感動です。
どのチンパンジーがアイちゃんなのか分かりませんでしたが・・・
残念ながら初めてみるチンパンジーを見分けるのは不可能でした。
でも、霊長類研究所で研究されている方々はさすがにチンパンジー個人を認識されています。
人間と同じでそれぞれ個人に特徴があるらしいです。

霊長類研究所のチンパンジーは、平日は学生さんや研究者とともに様々な研究に取り組んでいます。
もちろん、チンパンジーは被験者ですが、この作業、チンパンジーにとってストレスになるのではないか、
と思われる方もおられると思いますが(僕もそう思っていました)、
実はチンパンジーは研究の中で様々な学習や作業を行うことが好きなようなのです。
研究所の方のお話ではむしろ、チンパンジーは暇が嫌いだとか・・・
研究を行っているウィークデーはチンパンジーはストレスを感じないとのことですが、
週末やお盆休みなど研究が休止する日はチンパンジーは退屈で仕方がないとのこと。
いたずらをする日は決まって暇な日だとのことです。

退屈が嫌だということはやはり知識レベルが高いということではないかと思います。
チンパンジーの知識レベルの高さに驚かされました。
こんな話をチンパンジーが生活している空間をみせて頂きながら伺ったのですが、
チンパンジー達は興味津々でこちらを観ています。
特に暇なお盆休みなのでちょうど良い暇つぶしになったのかも知れません。
どっちが観察しているのか分からなくなるような変な気分になります。

特に子供のチンパンジーは新しい人が来ると、興味を強く示し、
場合によってはものを投げてきたり、口の中にある種などをとばしたりするらしいので、
「注意してくださいね」といわれていました。
私も初めてのチンパンジーを興味津々でじ~っと観てました。
すると、子供のチンパンジーのイタズラ心に火がついたのか、
こちらに向かって口を開けて(唇をまくり上げるようにして)
つばを吐いてきました。
興味を持たれてしまったようで・・・
ボッソウ村では大丈夫だろうか。
ボッソウでは手の届くような範囲にチンパンジーがくるらしいのです。

続く

アフリカ ギニア ボッソウ村での「緑の回廊プロジェクト」滞在記 準備編(4)

【牛田先生とヘキサチューブの現場を視察する・・・ギニアの緑の回廊プロジェクトへ向けて】

左:筆者
右:牛田先生
真ん中:学生さん

2005年8月3日、この日は牛田先生と、この月の半ばにボッソウへ行くという京都大学の学生さんと一緒に
ヘキサチューブの現場を見学に行くことになりました。
そう、私は「緑の回廊プロジェクト」のお手伝いをしに行くのですが、
あくまでも会社の製品である「ヘキサチューブ」をプロジェクトでご購入いただき、
そのチューブの特性を活かして木々を活着させ生長させてプロジェクトのお役に立つ、
という役回りなのです。

そこで、一緒にギニア共和国へ行って頂く牛田先生には、
パンフレットなどではなく実際に使用されている現場で実感して頂こう
ということになったのです。

フランス語が公用語となっているギニア共和国では、
フランス語が堪能な牛田先生が頼りの綱で、
現地でのプレゼンテーションは牛田先生が頼りとなるため
(もちろん日本語で私が説明はしますが)、
しっかりとヘキサチューブについてご理解頂くことが必要だと考えたからです。

さて、今日見学に行く所といえばもちろん木が植えられている場所に行くので山です。
いつものように僕は作業服に地下足袋という出で立ち。
ところが、学生さんの足元を見ると、サンダル。
山に行くというのに裸足にサンダルはないだろうと心配するこちらの気持ちとは裏腹に、
何も気にしないで山の中へザクザク歩いて行く学生さん・・・
これくらいの根性(というか気にしないおおらかさといった方が適切なのかも知れない)がないと
ギニアへは行けないのだろうか、と若干の不安を覚えました。

ところで、実はこの日私が牛田先生とお会いするのは初めて。
しかも教授と伺っていたので緊張していたのですがかなりフレンドリーな先生で、
お話ししていても楽しい方で、二人でギニア共和国へ行くことになっても
毎日緊張しまくって生活する必要がないように感じられて、
またギニア共和国行きの不安要素が1つなくなった日でもありました。

現場の見学の後は会社の人々(大勢)と牛田先生、学生さんとともに夕食を食べることになりました。
会社としても牛田先生には私のような人間を託さないといけませんし、
牛田先生にはいろいろな情報を持って頂いた方が現地でのプレゼンテーションに役立つということもあり、
私との顔合わせということもあり、設けて頂いた食事会です。
牛田先生はお酒を飲むとさらに陽気になられ、しかもけっこう飲まれる。
私もお酒は好きなので、ここでもちょっと一安心。
食事会が終わると私と他の同僚は先にお暇いたしましたが、
社長と牛田先生はそのままお残りになり飲んでおられたそうです。
田中先生は学生さんと夜の町に繰り出されました。田中先生も結構飲んでおられたと思うのですが、
さらに飲んで帰られる模様でした。
農学部の先生って一体どんな肝臓しておられるんだろうか・・・。
牛田先生曰く、「人間生きているとどこかでエネルギーを発散するものですよ。お酒かスピード」ですって。
無駄話ばかりで、ここまで来ても全然ギニア共和国へ近づいてないような気がするかも知れませんが
確実に私のギニア行きは近づいているんです、これでも。

アフリカ ギニア ボッソウ村での「緑の回廊プロジェクト」滞在記 準備編(3)

【プラントハンター 立花先生】

2005年7月30日、若い頃プラントハンターとして世界中を飛び回っておられた
立花先生とお話しさせて頂きました。

※立花吉茂:大正15(1926)年8月1日生まれ 旧制中学校卒業
京都大学農学部園芸学研究生から文部教官(助手)
大阪市立大学理学部付属植物園に勤務 助手から講師を経て助教授に。
大阪市「咲くやこの花館」顧問(植物プロデューサー)
昭和36年までにハワイ・アメリカ全土・メキシコ・コスタリカ・コロンビア
・韓国・中国・タイ・マレーシア・スリランカ・インド・セーシェル
・モーリシャス・レユニオン・マダガスカル・南アフリカなどで
植物調査、採集、栽培指導を行う)

ハイトカルチャ社は日本での緑化事業に関しては現場もたくさんみているし、
植物もみています。感覚として何となく分かる、というところがあります。
しかし、残念ながらギニア共和国となると想像すらできませんでした。
恥ずかしながら、植物のことどころかギニア共和国という国のこと自体が
よくわからないのでした。
アフリカの熱帯地域という感じの大きなくくりで中学・高校の時に
地理の授業などで習った程度のことしか分からない、
つまり一般人と情報量は大して変わらない、というところだったのです。
熱帯地方の植物については、よくご存じの立花先生に話を伺うことで
事前の心と知識の準備をしておこう、そういうことで話を伺ったのです。

京都大学霊長類研究所からギニアでの研究資料の一部を頂き、
その中にボッソウの付近に生えている植物のリストがありました。
チンパンジーが生活している場所の環境を知るための基礎資料として
調査されたようです。
それにしてもかなりの数の植物があり、
よくこれだけ調べたものだと思いました。
が、植物名についてはすべて学名で記載されており、
恥ずかしながらどんな植物なのかまったく理解できませんでした
(まあ、仮に植物名が和名であっても知らないものが
多かったとは思いますが・・・)。
いったいどんな姿をした植物なのか、
どんな性格の植物なのかなんてことも全くわかりませんでした。

立花先生はそのリストを眺めて、
「もともと自生していたものもあるけれど、
作物として持ち込まれたものも相当ある」と言っておられました。
カカオやミカンの仲間、パイナップル、コメ、カシューナッツ、落花生、
パパイアなどなど・・・
元々の植生もわからないうえ、作物まで混じっているとなるとその中から
本当にどんな植物を「緑の回廊プロジェクト」に使うべきか、
まして植物名がわからない。こんな状況で本当にギニア共和国へ行って
「緑の回廊プロジェクト」のお手伝いができるものだろうか。
そんな不安がどうしても消えない。
しかし、そんなとき立花先生は、

「まずは現地をよく観察すること。
どんなところにどんな植物が生えているのか、
それがわかるとおのずとどの植物を植栽すればいいのかわかってくる」

と仰いました。
そう、植物の名前など知らなくても、
観察することで植物の性格などは大まかにわかるはず。
基本中の基本を忘れておりました。

ただ、観察するにあたって、日本では木々の光に対する要求度は
「陽樹」「陰樹」の2種類に分けられるけれど、
ギニア共和国のような熱帯地域では「中間樹」のような性格のものがあり、
そこもよく注意して観ておくように、とのことでした。
陽樹とはよく開けた明るい環境を好む木々で、
こういった植物は林縁部(林と開かれた場所の境目あたり)に
よく見られます。
逆に陰樹とはある程度成立した木々の下のような日陰
(といっても暗すぎると枯れてしまう)を好む木々であり、
こういった木々は林の中に多くみられます。
中間種は小さい頃は木陰でも育ち、
大きくなるともともとあった木々の上に頭を出して
優先的に育っていけるような木々であるそうです。
ちょっと日本の自然植生(人工林ではない環境)では
あまり見かけない性格のもののようですが、
がんばって観察して木々の性格を何とか把握して、
その結果を「緑の回廊プロジェクト」に活かしていこう、
と思えるお言葉をいただけたのは大きな前進でした。

PHOTOS by Ryo

アフリカ ギニア ボッソウ村での「緑の回廊プロジェクト」滞在記 準備編(2)

このプロジェクトが始まってから10年近くが経過した2005年6月末のこと、
京都府立大学の牛田一成先生が弊社を訪問されました。
弊社の技術顧問をしておられる田中先生は京都府立大学を退職された先生。
牛田先生は田中先生を訪ねてこられたそうですが、
上記の「緑の回廊プロジェクト」とは全く無関係のことで訪問されていたそうです。
しかし、弊社の壁に掛かっていたヒマラヤの植樹に弊社のヘキサチューブが使われた写真をみられたそうで、
そこに映っていた大きく成長したポプラと、
植樹のボランティア活動をされている団体の代表者である遠藤京子さん。
この遠藤さん、登山界の中ではかなりの有名な方らしく、
8000m級の山に女性としてはじめて登頂された方らしく、
学生時代に山岳部に所属し今でも山登りは好きだという牛田先生に強烈な印象を与えたようです。
なぜ、京都府立大学の牛田先生と「緑の回廊プロジェクト」がつながるのか・・・
話が突拍子もないことになっている、と感じられると思いますが、
霊長類研究所の松沢先生は牛田先生の山岳部の大先輩らしく、つながりが今でも強いそうです。
さて、ここから私がその緑の回廊プロジェクトの一端に携わることになるまではまだまだ遠いように思われますが、
実はこの「緑の回廊プロジェクト」、当時はなかなか思うように成果がでていなかったようです。
そこで京都府立大学の農学部(現在の生命環境学部)の教授をしておれる牛田先生にも相談があったそうです。
ちなみに霊長類研究所は理学部、人文科学から生まれた組織。
植物を育てることに関しては門外漢なのです。
しかし農学部といっても畜産関係の研究をされている牛田先生も門外漢で、関係のない話だったのが弊社を訪問され、
ヒマラヤでの植樹活動の写真をごらんになり急に緑の回廊プロジェクトに牛田先生が巻き込まれていくことになった・・・
というのが話の顛末のようです。
牛田先生の弊社訪問時、出張で不在の私は、牛田先生の訪問も私のアフリカ行きのきっかけがここから始まったということも、
当時はまったく知る由もなく・・・

さて、遠藤京子さんの写真の印象がかなり強烈だったのか、牛田先生はいち早く松沢先生にご報告されたのでしょう。
一週間ほどたった7月7日、再び弊社に来られ、
試験的に「緑の回廊プロジェクト」にヘキサチューブが導入されることになったと・・・
当日も出張で不在の私。知らない間にギニア共和国行きがほぼ決定していたのでした。

後日、そのことを聞かされた私。といっても「行くように」と言われたわけではなく
「行く必要があるかも知れないが、どうか」と聞かれた程度のことでした。
アフリカに対して漠然とした興味があり、
いつかはアフリカに(アフリカ一括りにできるようなものではないけれどやっぱり漠然と)行ってみたいような気持ちもあったので、
「行っても良いですよ」と答えた私。
準備などが結構必要で、慌てることになるのは後日のこと・・・

2000年春植栽直後の様子(パキスタン トンガル村にて 写真提供:ヒマラヤグリーンクラブ)

2004年大きくなったポプラ(パキスタン トンガル村にて 写真提供:ヒマラヤグリーンクラブ)

アフリカ ギニア ボッソウ村での「緑の回廊プロジェクト」滞在記 準備編(1)

もう早いもので2017年も後半に入りました。

私(ハイトカルチャ社技主任)が西アフリカ、ギニア湾に接する国、
ギニア共和国を最後に訪問してから早くも10年が経過しようとしています。
黄熱病の対策のための予防接種の有効期限も過ぎてしまいました。
黄熱病流行地域に渡航する際には予防接種を受けて発行されるイエローカード
をパスポートと共に携行する必要があるのですが、その有効期間が10年なんです。

■チンパンジーの群れが存続危機に

京都大学霊長類研究所の松沢哲朗先生
(2016年3月で退職、同年4月、京都大学高等研究院特別教授に就任されたそうです)は
ギニア共和国のボッソウ村で野生チンパンジーの研究を行っておられました
(現在も行っておられるかも知れませんが)。
その研究対象となっているチンパンジーの群れは
ボッソウ村にあるバンという山を中心に生息しています。
チンパンジーは主に樹上生活を行い、移動も森林の中で行うのが普通のようです。
サバンナや道路など開かれた場所を移動することはあまりないようで、
移動するとしても力の強い雄が単独で出かける程度のことのようです。
このバン山は周りをサバンナで囲まれたような状態になっており、
群れは比較的狭い範囲で活動しているような状況になっているとのことなのです。
チンパンジーの繁殖に欠かせないのは成人の雌のチンパンジーが他の群れに合流し、
当たらしい血を持ち込むことだそうです。
しかし、先に述べたようにここバン山はサバンナに囲まれたような状態で、
他の群れから新しい雌がやってくることはなく、
血が濃くなりこのままではこの群れは縮小、消滅する危険性があるというのです。

■ ニンバ山とバン山を森林で結ぶ「緑の回廊プロジェクト」

そこで、他の群れが生息するというニンバ山(世界自然遺産)とこのバン山を森林で結び、
チンパンジーの移動できる回廊にしようという「緑の回廊プロジェクト」を
1997年に松沢先生が立ち上げられたそうです。

サバンナに木々を植え付けて、
バン山からニンバ山までの4kmを幅300mにもなる回廊を造ろうという試みです。