アフリカ ギニア ボッソウ村での「緑の回廊プロジェクト」滞在記 渡航編(2) コナクリ滞在 カルチャーギャップに戸惑う

2005年12月13日(火)コナクリ滞在中

今日は、様々な事務手続きのためにコナクリ滞在です。
朝は早くから目が覚めてしまって、大変です。
5時くらいでしょうか、目覚めるのは・・・
未だ、時差ぼけが若干あります。
さすがの、ギニアでも5時となるとまだ暗いですね。
部屋からは、ギニア湾の?海が見えます。
朝日があがるところも見えるので、東向きの部屋なのかな?
(今、方位磁石で確認したら、東向きでした)
って、ことはギニア湾?
ギニア湾って、南だったような・・・
でも、微地形っていろいろあるからね~

コナクリの「ホテルロシェ」自室から見えた朝焼け

その朝日は日本で見るものと違うような気がするので、
外に出て写真を撮ろうとも思ったのですが、
さすがに、このギニアはコナクリで朝から一人で出歩く気にはなれません。
もちろん、言葉が不自由なこともありますが、
ここはまるでカオスです。
昨晩は、遅くにホテルに着いたので、
周辺の様子は垣間見る程度でしか分かりませんでしたが、
それでも十分に、治安は良くないことは分かります。

交通状態は、まさにカオス。
これは昨晩の日記にも書いたかな?

そんなところに、朝から一人で出て行って、
しかも写真を撮りに行って無事に帰ってこられるかどうかはかなり不安。
したがって、思い出は思い出として、
心に風景を刻みつけて、写真は諦めました。

社会主義の時代の名残か、
町中の写真をむやみに撮ると、怒られることもあるらしい・・・
町中には、ふとしたところに警官や、軍服を着た人たちがいるのです。

朝食はホテルの1Fにある食堂で食べます。
朝食はどうするのか聞いていなかったので、
おそるおそる1Fにおりてきたのですが、
先にKUPRIの人が食べていたので、
個人的に好きなように食べるのね、
と判断し適当に席について待っていると、
ウエイターがやってきて席の横に立ってオーダーを待っている。
何があるのか、わからないので、
何があるか片言のフランス語で尋ねてみるとメニューは2通りのみ。
オムレツかフルーツサラダ。
とりあえずフルーツサラダ(サラダドゥフリュイ)と
カフェオレ(キャフェオレ)を頼みました。
出てきたフルーツサラダは、
サラダと言うよりは小さく切ったフルーツの盛り合わせのようなもの。
ちょっと物足りない感じです。
パンとカフェオレでお腹を満たして、デザート代わりにサラダを食べました。

朝食をホテルでとった後、
迎えに着てくれたランドクルーザーに乗ってお出かけです。
ギニアのDirection Nationale de la Recherche Scientifique et Technologique
(科学技術研究省って感じでしょうか)へお出かけです。
来年は京都大学霊長類研究所がボッソウで研究を始めて30年になるそうで、
コナクリで11月末に国際シンポジウムを開くらしく、
その打合せを行うとのことで、牛田先生に金魚の糞状態でついていきました。

もちろん、フランス語での打合せ。
ほとんど、内容が分からない私・・・
しかし、どうも話がうまくかみ合っていないような感じが十分に伝わってきます。
(話が伝わっていなかったのかなぁ・・・という印象と、
さらに何やら若干トラブルの臭いを感じました)

どうやら、後で聞いたところによると、
「休憩時間になったら来客にお茶を出さなきゃいけないと思うが、
どうしたものか」とかなんだかんだと、
細かいことを気にしていろいろ言っていたそうです。
話をしている相手は、日本で言えば科学技術省の長官です。
その人が気にするような内容ではないし、
しかもまだ会場すら決まっていないような状態で
持ち出すような話の内容でもありません。
しかし、これは日本の尺度でのものの考え方になっている
と言われても仕方ないかも知れません。
ギニアにはギニアの、アフリカにはアフリカのものの考え方や尺度があるのです。

牛田先生も、それを忘れて思わず一生懸命になってしまった、と・・・
「私は、日本○○団の代表として申し上げます。云々・・・」
と話すべきだったのだと・・・

ものすごく体面を大事にして、
しかも細かいことに気を配って満足するのが民族性らしいです。
どうやら、物事をうまく線でつなげて考えることや、
線で管理することが苦手なようです。
別に、差別をしようとしているわけではありません。
方向音痴だけれど
その場の詳細のお店だとか看板はよく覚えている人って
いますよね。
逆に方向感覚は優れているけれど、
どこにどんな店があったとか
そんなことは覚えていない人もいますよね。
そんな感じです。

フランスの植民地、イギリスの植民地にかかわらず、
アフリカでは線でものを管理するのは苦手なようだと牛田先生。
確かに、フランスが植民地時代に引いた鉄道は、
今は全く機能していません。道路走っていると、
「お、線路があるぞ・・・電車は?」
と思って、線路を目で追いかけると線路の上に家が建っています。
まったく、線路を無視して生活しているのです。
線路上にバナナが植わっている場所もあったくらいです。

有線の電話は全く機能していないといって良いらしいです。
しかし、そこら中で携帯電話を使用している人はいます。

点ではきちんと管理できるが、線になると突然管理できなくなる、
そんな民族性があるようです。

さて、話はかなり長くなって、あちこちに飛んでいるようですが・・・
(ほんと、ひどい文章です)

そのようにして、我々にとってはほとんど無意味に
午前中のお話しは終了したようです。
その後は、ヘキサチューブを1200本、
コナクリからボッソウへと運送してもらうというAgentとの打合せです。
場所を移動し、
土レンガ(水で練った土をレンガ状に成形して天日干ししたもの。
ちなみにレンガは焼成しています)を積み上げてつくった建物に入る。
中は窓が小さいのか、暑いからあえて太陽光が入らないようにしているのか
わからないけれど、薄暗い。
どこだかわからないけれど、
おそらくここはチューブを運ぶことになっているAgentのオフィスのようです。
本来は、この辺りの話はわたしがすべきなのでしょうが、
ギニアの人々の気性が分からない上、
フランス語なので何ともしがたいところです。
したがって、申し訳なかったのですが
牛田先生に頑張って頂く他なかったのです。
日本にいるときに、牛田先生が聞いたところによると、
コナクリからボッソウへの陸送費は1800USドル。
しかし、どうやら長らくギニアで研究生活を送ってこられた
女性の方の話によると、
何が何でも1800USドルは高すぎるらしいです。
実質500USドル程度だろうと・・・
「え、その金額差は何?」
って思うでしょう?私も思いました。
しかし、これがギニアなのだそうです。
この話に関わったそれぞれの人たちが少しずつ
小遣いをとって、それが積もり積もってそんな値段になるのだそうです。
何だかんだと理由をつけては値段を下げようとはしません。
半分、脅しだな・・・っていうような場面もあったそうな・・・
(フランス語なので、残念ながら解りかねます・・・)

しかもです、用意されていた車を見てびっくり。
「え?これに載せるの?っていうか載るのか~?」
っていう車です。しかし、運べるというのだから運べるのでしょうね・・・

どう頑張っても載らないと思った1200セットのヘキサチューブ
しかし載るもんですね~~
右牛田先生と車

で、とりあえず、
通関手続きの代行手数用や何やで930USドルを
とりあえず支払って、港まで現物を見に行きました。
ありました、ありました。
まるでセメント工場のような通関倉庫に、
セメントのほこりをかぶっておかれているヘキサチューブと支柱たちが・・・
しかし、盗難されることもなく、
無事にとりあえずコナクリにはあるのです。
この先どうなるかは、まだ解りませんがね・・・

そして、3時間もあれば出せると豪語していたAgent。しかし、別れ際に、
「明日には出せるから・・・」
だって。この国はいったいどうなってんだか・・・

こんなことを言うと、
また差別だ、といわれるかも知れないけど、
これまで植民地として搾取されてきた歴史的背景はわかる。
全く持って不幸な出来事だったし、
それに対して償いなどをする必要はある。
ハンディキャップももちろんある
(アフリカに関しては日本は侵略したことは全くないので
ヨーロッパが償うべきだろうと思しますけどね・・・)。
しかし、いつまでもそういうわけにはいかない、
とわたしは思う。
せめて、仕事として引き受けたからには責任を果たすべきだ。
3時間もあれば出せるというなら、3時間以内に出すべきだ。
別に、それ以上は求めない、今は・・・

その後、昼食をとりに、
日本大使館近くのベトナム料理のお店へ行き、
たらふく昼食を食べました。
ボッソウへ行ったら、こんなもの食べられないと牛田先生。
食べられるうちに食べておかなきゃ・・・
とすごい勢いで食べていた先生
(不毛な話で疲れていたのかも知れない・・・すいません)。
(実に先生は正しい発言をされていたと
後に実感することに・・・
後日ボッソウから帰ってきて同じ店に行ったけど
半ば感動ですよ。
アジア料理って最高です!って叫びたい気持ちになりましたもん・・・)

で、その後、日本大使館に挨拶に行って、
極々ふつうのお話しをして、
その後シンポジウムの会場候補であるホテルに
下見に行きたいと言ったら、
昨晩に迎えに来てくれていた人が、
「今日は早く帰りたいからダメだ・・・」
っていう(運転手は文句は言わない・・・)。
このわがままを言っている人は、
京都大学霊長類研究所が雇っている人?
まだ、夕方4時にもなっていない。
研究所の車を我がもののように扱い、わがまま言いたい放題。
でも、これがギニアなんだそうだ。
向こうの土地だし、完全に主導権を握られているから・・・
(実はこの人物、
IREBというギニアの国立のボッソウ環境研究所に所長さんだったのです。
この後ボッソウでは毎日それなりに顔を合わすことになり、
人柄を知るとそんなに悪い人ではないことが解ってきます。
しかし、それにしてもちょっとわがままっちゃ
わがままだったかも知れないなぁ・・・)

でも、これはすでに書いたように、仕事なんだから、
それなりに仕事はしなきゃ。
そんなことをやっているようでは、
いつまで経っても先進国との差は縮まらない。
むしろ、開く一方だろう・・・嘆かわしいことだ。

会場視察を諦めて、宿泊ホテルへの帰路の途中。
かなりの渋滞に巻き込まれて、車はのろのろ。
すると、多くの人々が我々の車に近寄ってきて、
手のひらを上に向けて手を差し出し何か言っている。
金をくれと言うことなんだろう・・・
たしかに、所得では間違いなく日本人の方が稼いでいるし、
生活環境もいい。
だから、金をもらえるかも知れないと近寄ってくるのだ・・・
(かつて、タイに旅行したときにもそのようなことはあったが、比ではない)
戦争には負けたものの、
植民地として搾取されることもなく、
素早く立ち直れたという幸運もあったのだと思います。
でも、我々の親やその他大勢の人々が、
やっぱり頑張って働いてきた結果、今の日本があるのだと思う。
それに比べて、ギニアでは長年にわたり、
植民地として搾取されてきた背景、
奴隷として実働年齢の人々が連れ出されたなど、
ホントに不幸で愚かな歴史的背景がある。
しかし、それだけではないと思う。
やっぱり、簡単に寄付したり、お金を落とすだけではダメなんだ、
と先進国が気づくべきだし、
お金だけ出すような援助はやめるべきだと思います。
そんな援助は、彼らの足を引っ張るだけで
何の役にも立たないのではないかと思ってしまいます。
彼らには、きちんと仕事をしてもらうべきだし、
仕事ができないのであればお金はもらえないのだと
知ってもらうべきではないでしょうか・・・)

カオスのような街、コナクリ。建築中の建物なのか、
取り壊し中の建物なのか解らないような建物もある。
それなりのビルのような建物もあり。
テントのような建物、バラックも乱立する街。

たしかに、心傷む風景であるが、複雑な思いをした今日一日であった・・・

夕食は例によってホテルのレストランで。
また、デザートの時にビールを頼んで、
やっぱりウエイターに不思議そうな顔をされました。
飲食くらい自由にさせてくれ・・・

追記
実に嘆かわしいと思ったけれど、
これがこの国の人々の気性なんだと気づくまで
やっぱり1ヶ月近くはかかったかも知れない。
実にこの国の人々は気長に物事を成し遂げようとするのは苦手だ。
ものをメンテナンスしながら大事に使うのも苦手。
物事を筋道立てて長期レンジで計画を立てるのも苦手。
これは、基本的に農耕民族ではなく、
狩猟民族や放牧民族だからなのか・・・
気性的に、同じ所にじっと我慢して生活して、
何某かを育てていくということが根本的に苦手なようなのです。
しかも、強制的に(言葉は悪いけど、奴隷のように)
仕事をさせないと、自分たちで計画的にコツコツと、
というのは根本的にないようなのです。
アフリカがそうなのか、ギニアがそうなのかは解らないけど、
いろいろ難しいようなのです・・・

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です