アフリカ ギニア ボッソウ村での「緑の回廊プロジェクト」滞在記 渡航編(1) シャルル・ド・ゴール空港に到着

2005年12月11日

親に関西国際空港まで送ってもらって、両親、奥さんに見送られて日本を発ちました。

現地時間21:05(日本時間12月12日05:05)。
未だに実感がありませんが、すでにパリにいます。

エールフランスで、関西国際空港からシャルル・ド・ゴール空港に。長い長いフライトで非常に疲れました・・・
目の前にあるモニターで映画でもと思ったのですが、調子が悪く映ったり映らなかったりでうんざり。
牛田先生は隣に座った外国人の女性と話が盛り上がっているようですが、わたしの両隣は日本人。
どちらも無口でおとなしい感じ・・・
わたしも普段はおしゃべりな方かも知れないけれど、知らない人といくらでも話ができると言うほど気さくでもないし。
結局、ほとんど本を読んだりウトウトしたりでフランスはシャルルドゴールまで・・・
(本を読むにも、僕の席の照明がつかなかったので、隣の人が照明を消すと何もできないという不便な状態だった)。

シャルルドゴール空港に着くと、荷物を当然受け取るべく、ベルトコンベアーの前で待つことになったのですが、
ここの空港のベルトコンベアーってシステマチックではなく、構造的に欠陥があるとしか思えない代物。
ベルトの片側からしか荷物がとれないし(日本の空港などではベルトの両サイドから荷物がとれるようになっていますよね)、
待合いが狭く、非常に混雑したような印象です。
しかも、狭い上に手押しのキャリーが所狭しと置かれているので尚更狭い。
荷物もなかなか出てこないし、ほんとに先進国の空港なのかと一瞬疑いたくなるような状態でした・・・。

パリの気温は3℃。日本とさして気温は変わりません。
それにしてもシャルル・ド・ゴール空港って大きな空港なんですね。
ターミナル1~3まであって、ターミナル2はA~Fまである。ターミナル1はどうなっているのかは知りません。
わたしたちはターミナル2に到着。
通常なら、ターミナル2Fに到着するはずが、どうやら違う場所に着陸していたようで、
すこし先生も戸惑いがちのようですが、それでもパリで生活されていたこともある先生は勝手知ったる場所という感じでずんずん歩いていかれます。
わたしは「ひよこ」のようについて歩くだけ。
最近、こういう歩き方はしていなかっただけに知らない場所に来たんだなぁという感じは若干あります。

先生は、シャトルバスが来る場所がわかったようで外に出ていかれます。先生を見失わないようにわたしも空港の外に。
ホテルまではシャトルバスが運行されているので、空港出口でシャトルバスを待ちました。
20分くらい待った後、シャトルバスが来たので乗り込みました。
クラッチワークが荒い運転で、少し面食らいましたが運転は問題ないようです。
このシャトルバスは、空港内のあちこちの出口で待つ客をピックアップしていく。

昨年(2004年)6月に、空港の一部の屋根が崩落したと、牛田先生がおっしゃてました。
地震がないフランスでは、建築物の構造がいい加減らしい。
たしかに、空港でシャトルバスを待っていると、道路の継ぎ目を大型のバスが通り過ぎるたびに振動が伝わってきていました。
その、崩落箇所はといえば、未だに工事中(あるいは未だに放置)で、電気が消えています。
日本では考えられない、スローペース。
もう、崩落から1年半が経過しているのに・・・

ホテルにつくと、簡単な夕食をとりました。
もちろん、日本語が通じるのは、日本から来ている僕たち一行だけ・・・
そのくせ外国にいる気がしないのは何故か。
日本ではもうまもなく夜が明けようとしているはずなのに、これから寝る準備をしようという状態です。
にもかかわらず、海外にいる実感がない。
ただ、体が移動しただけで、心が追いつかないというところでしょうか。
牛田先生が、フランス語が堪能なので、不自由しないせいもあると思いますが、
如何せん飛行機を降りて、ホテルについて夕食を簡単に済ませただけだから仕方ないともいえるかも知れません。
また、いまだ、パリという先進国に身を置いているからかも知れません。

今回の旅(出張)は、ギニアはボッソウ村という先進国からはかけ離れた場所に行く
という気持ちが勝ちすぎていたからかも知れません。
ただ、パリはただの経由地に過ぎないから、こんなところで実感しても仕方ないともいえます。
悲しいかな、これから約1ヶ月、どのようになるかはいまだ想像できずにいます。
ともかく、無事にとりあえず、経由地であるパリに到着しました。
窮屈な、エコノミークラスの座席から解放された心地よさだけが際だつ、このひととき・・・
明日の夜には間違いなくギニアに足を踏み入れることになります。
ま、明日からです、本番は・・・

アフリカ ギニア ボッソウ村での「緑の回廊プロジェクト」滞在記 滞在編(2) ギニア・コナクリ空港に到着

2005年12月12日

現地時間、夕方の4時頃にパリを発って、夜9時頃にギニアはコナクリ空港に降り立ちました。

飛行機の中から早くもカルチャーショックでした。
アフリカの人ってホントにルールがあってないようなものなのかなぁ、と思うことが・・・
手荷物はたしか12kgまでと重量が決まっています。しかも、預ける荷物も確か20kgまで。
それを越えると超過料金があるはずなのです。にもかかわらず、
かなり大きな荷物を抱えて飛行機に乗ってくるんですよね
(追加料金を払っているのかも知れないけれど・・・)。

そして、エールフランスだからか、やっぱりモニターの調子が悪い席があるのです
(JALとか日本の飛行機ではそんなことはあんまり聞いたことがないもので・・・)。
その席に座った黒人の女性。モニターを力一杯なぐっていました。これには本当に驚きました。

コナクリ空港に着いてからもカルチャーショックの連続。
飛行機からタラップを下りて空港の滑走路に降りるのですが、まるでテレビで観る大統領や総理大臣と同じです。
入国手続は、それなりにあって、パスポートやビザなどを確認しているけれど、
その奥では荷物を確保しようとベルトの前で場所取りをしている人々が右往左往しているのが見えるような状態。
入国手続きをしている人は軍服を着ています。
独立してから間もなくは社会主義というか軍事主義というかそのような状態の国だったと記憶していますが、
その名残が残っているようなのです・・・

そして、何よりも暑い。
普通、空港って空調が効いていて、寒い国に来たのか暑い国に来たのか、
空港を出てみないと解らないような状態だと思うけど、前述のように飛行機を降りた瞬間外だから、暑い。
パリはしっかり冬だったから、当然、冬の服装をしているのです。だから、余計に暑い。
夏の格好をしていても暑いのに・・・しかも、狭いところに人が密集しているから尚更暑い。
そして、なぜか出国手続きもしていない出迎えの人たちがたくさん入国ゲートの外側(飛行機側)に来ています。
入国審査で待っている人以外のこういった出迎えの人もたくさんいるので余計に暑い。
日本やその他の先進国ではあり得ません。
空港は壁と屋根はありますが、空調などは全くありません。雨、風をしのげる程度のものです。
しかも、この空港暗いんです。
体育会系のクラブに属していた人はわかると思うのですが、体育館の照明をつけて間もなくは薄暗いですよね。
しばらく待っていると徐々に明るくなってくるようなあの感じ・・・その、明るくなる前のような状態なのです。

入国手続きをすませて、荷物を待ちます。
パリから来たばかりのわたしたちは冬服を着ているのでとにかく暑い。
荷物を運ぶベルトの周辺には人だかりができていて、とても近づけません。
搭乗客以外に、荷物をピックアップする仕事をしている人もいるからでしょう。
その大勢の人々の足下をネズミが走り抜けます。
日本ではまずお目にかかれないすごい状況の中、何とか荷物をピックアップした後、我々一行を出迎えてくれる人がいました。
ボッソウで研究をしている人たちのようです。
牛田先生とフランス語で何やら挨拶などしておられましたが
フランス語なのでいったいどんな会話をされていたのかまったくわからず、詳細はわかりません。

トヨタから寄贈されたというランドクルーザーに乗ってホテルへと向かう道は舗装されておらず、
所々に深いくぼみができていています。
そのたび車はスピードを落とし、そのくぼみを避けたり、ゆっくりと乗り越えていきます。
さらに夜も10時を過ぎようかというのに、あちらこちらに人がいます。
ひっきりなしに走る車の隙間をぬって道路を横断しようという人も大勢見かけました。
事故が起きないのが不思議なくらいの混雑ぶりです。
道路には街灯などはなく暗い。そんな中から人が出てくるのです。運転するには恐ろしすぎる交通事情といえます。
道ばたに見える家などは、日本では考えられないような家です。
なぜ、この人たちはこのような生活を強いられるのか、と考えると胸が痛む思いがしました。

しかし、人のことを心配していられるような状態でもありません。
心配していた通りフランス語が聞き取れないのです。
会話どころの話ではありません・・・多大なる不安を抱えながらのギニアでの生活のスタートになったような気がします・・・
しかし、何はともあれ無事にコナクリのホテルに到着してチェックインも無事終了。
ロビーは狭いけれど、思った以上にきれいでこぢんまりとしたホテルで一安心。

夜も遅いので夕食に出かけるのも危ないので、ホテルの1Fにあるレストランで食べることに。
かつてフランス領だったギニア共和国ではフランス料理であったりフランスの食習慣が普通に残っているようです。
ひとしきり食事が済むと、「デザートは?」と聞かれます。
霊長類研究所の女性陣はそれぞれデザートを頼んでいたけれど、もともと甘いものはあまり食べない私。
もうちょっと飲みたかったので「ビエール(ビールのこと)」というと、

「え?」

とウエイターは不思議そうな顔をするのです。
食後に改めてビールを飲む、という行為が理解できないようです。
それでも、「ビエール、シルブプレ」というとしぶしぶ了解したような感じでした。
牛田先生はリンゴか何かから作られたデザート酒を注文されてました。
さすがフランスで生活されていただけあって食後に飲むアルコールも知っておられるようです。
でも、やっぱり私はビールが一番、です。

さて、あとはゆっくり眠れるかどうかはわかりませんが、とりあえず眠ろう。

アフリカ ギニア ボッソウ村での「緑の回廊プロジェクト」滞在記 渡航編(1) シャルル・ド・ゴール空港に到着

2005年12月11日

親に関西国際空港まで送ってもらって、両親、奥さんに見送られて日本を発ちました。

現地時間21:05(日本時間12月12日05:05)。
未だに実感がありませんが、すでにパリにいます。

エールフランスで、関西国際空港からシャルル・ド・ゴール空港に。長い長いフライトで非常に疲れました・・・
目の前にあるモニターで映画でもと思ったのですが、調子が悪く映ったり映らなかったりでうんざり。
牛田先生は隣に座った外国人の女性と話が盛り上がっているようですが、わたしの両隣は日本人。
どちらも無口でおとなしい感じ・・・
わたしも普段はおしゃべりな方かも知れないけれど、知らない人といくらでも話ができると言うほど気さくでもないし。
結局、ほとんど本を読んだりウトウトしたりでフランスはシャルルドゴールまで・・・
(本を読むにも、僕の席の照明がつかなかったので、隣の人が照明を消すと何もできないという不便な状態だった)。

シャルルドゴール空港に着くと、荷物を当然受け取るべく、ベルトコンベアーの前で待つことになったのですが、
ここの空港のベルトコンベアーってシステマチックではなく、構造的に欠陥があるとしか思えない代物。
ベルトの片側からしか荷物がとれないし(日本の空港などではベルトの両サイドから荷物がとれるようになっていますよね)、
待合いが狭く、非常に混雑したような印象です。
しかも、狭い上に手押しのキャリーが所狭しと置かれているので尚更狭い。
荷物もなかなか出てこないし、ほんとに先進国の空港なのかと一瞬疑いたくなるような状態でした・・・。

パリの気温は3℃。日本とさして気温は変わりません。
それにしてもシャルル・ド・ゴール空港って大きな空港なんですね。
ターミナル1~3まであって、ターミナル2はA~Fまである。ターミナル1はどうなっているのかは知りません。
わたしたちはターミナル2に到着。
通常なら、ターミナル2Fに到着するはずが、どうやら違う場所に着陸していたようで、
すこし先生も戸惑いがちのようですが、それでもパリで生活されていたこともある先生は勝手知ったる場所という感じでずんずん歩いていかれます。
わたしは「ひよこ」のようについて歩くだけ。
最近、こういう歩き方はしていなかっただけに知らない場所に来たんだなぁという感じは若干あります。

先生は、シャトルバスが来る場所がわかったようで外に出ていかれます。先生を見失わないようにわたしも空港の外に。
ホテルまではシャトルバスが運行されているので、空港出口でシャトルバスを待ちました。
20分くらい待った後、シャトルバスが来たので乗り込みました。
クラッチワークが荒い運転で、少し面食らいましたが運転は問題ないようです。
このシャトルバスは、空港内のあちこちの出口で待つ客をピックアップしていく。

昨年(2004年)6月に、空港の一部の屋根が崩落したと、牛田先生がおっしゃてました。
地震がないフランスでは、建築物の構造がいい加減らしい。
たしかに、空港でシャトルバスを待っていると、道路の継ぎ目を大型のバスが通り過ぎるたびに振動が伝わってきていました。
その、崩落箇所はといえば、未だに工事中(あるいは未だに放置)で、電気が消えています。
日本では考えられない、スローペース。
もう、崩落から1年半が経過しているのに・・・

ホテルにつくと、簡単な夕食をとりました。
もちろん、日本語が通じるのは、日本から来ている僕たち一行だけ・・・
そのくせ外国にいる気がしないのは何故か。
日本ではもうまもなく夜が明けようとしているはずなのに、これから寝る準備をしようという状態です。
にもかかわらず、海外にいる実感がない。
ただ、体が移動しただけで、心が追いつかないというところでしょうか。
牛田先生が、フランス語が堪能なので、不自由しないせいもあると思いますが、
如何せん飛行機を降りて、ホテルについて夕食を簡単に済ませただけだから仕方ないともいえるかも知れません。
また、いまだ、パリという先進国に身を置いているからかも知れません。

今回の旅(出張)は、ギニアはボッソウ村という先進国からはかけ離れた場所に行く
という気持ちが勝ちすぎていたからかも知れません。
ただ、パリはただの経由地に過ぎないから、こんなところで実感しても仕方ないともいえます。
悲しいかな、これから約1ヶ月、どのようになるかはいまだ想像できずにいます。
ともかく、無事にとりあえず、経由地であるパリに到着しました。
窮屈な、エコノミークラスの座席から解放された心地よさだけが際だつ、このひととき・・・
明日の夜には間違いなくギニアに足を踏み入れることになります。
ま、明日からです、本番は・・・

アフリカ ギニア ボッソウ村での「緑の回廊プロジェクト」滞在記 準備編(最終) マラリア予防薬を求めて右往左往する

2005年11月21日

ギニア共和国に限らず、熱帯の地域ではマラリアが流行しているので、薬を飲んでマラリア予防することになります。
長期滞在される方の中には飲まれない方もおられるそうですが。
その薬は、マラリアの予防と治療に使用されるとのこと。
日本で認可されているのはまだ「メファキン」という薬一種類だけ。
そんじょそこらの病院に飛び込んで、「メファキン下さい」っていっても出てくるものではないそうです。
しかも、この薬は渡航する一週間前から服用する必要があるので、そろそろ準備しなければ間に合いません。
そこで、大阪検疫所からもらった医療機関のリストに載っている病院に電話しました。

「あの~、そちらで抗マラリア薬を処方して頂けると聞いたんですけども」
「あ、以前知人に処方したのがインターネットに出ちゃったんですよね。今はやってません。ガチャッ」

さすがに、大阪検疫所でもらったリストだったのであっさり「はい、処方できますよ」
って言ってくれると思ったのに残念。仕方ありません、気を取り直して、大きい病院に電話。

私立の総合病院(T原総合病院)

「あの、ちょっと伺いたいことがあるんですけど・・・仕事でアフリカに行くことになりまして、
マラリアの予防が必要なんですけども、そちらでメファキンを処方して頂けるのでしょうか」
「少々お待ち下さい・・・」(・・・長い間合い)
「あ、先生に確認しないと何とも申し上げられないので折り返し電話いたします」
しばらくして、「もしもしT原総合病院です」「あ、わざわざすいません・・・」
「申し訳ありませんが、こちらでは処方できないとのことなので、保健所の方に問い合わせて頂けませんか?」
「分かりました、お手数かけました。ガチャ」

保健所

「あ、あの伺いたいことがあるんですけども」「はい、何でしょう」
「あのですね、仕事でアフリカに行くことになりまして、マラリアの予防を・・・」「予防接種ですか?」
「あ、いや。服用の薬で予防すると聞いたのですが・・・」「ちょっと待って下さいね」(・・・また長い間合い)
「こちらでは予防の薬の処方とかはやってないんですけども。病院の方に問い合わせてみられては?」
「あ、いやいや。さっき病院に聞いたら保健所の方に聞いてくれと・・・」
「あぁ・・・そうですか・・・じゃぁ、検疫所の方に・・・」
「検疫所からは、病院で処方してくれると伺ったんですが」
「そうですか、じゃぁ、こちらの方で処方してくれるような医療機関を調べてご連絡しましょうか?あまり、期待はできないですけど・・・」
「では結構です。ありがとうございました。失礼します。ガチャ」

たらい回しです。
困ったことになりつつあるように感じます。
仕方ない、と再び気を取り直して、ここは大学病院、と比較的近くの大学病院に電話する。

N県立医科大学付属病院

「こちらでは、予防では処方できませんので。病気になってから来て下さい」
「そうですか・・・失礼しました。ガチャ」

K大学付属病院

「こちらでは、予防では処方できません。病気になって診察で必要となれば処方できますが」
「そうですか・・・失礼しました。ガチャ」

散々、あちこちに電話して回って、結局、検疫所からもらったリストにあった医療機関(大阪市立総合医療センター)で処方して頂けることが判明。
ここにたどり着くまでが長かった。
基本的に病院では予防のために薬が処方されないのだということがよくわかりました。
でも、処方してくれるところが見つかって一安心です。

2005年11月22日

ようやくマラリア予防薬である「メファキン」を大阪市立総合医療センターにて処方して頂きました。
薬では副作用があるのは当然ですが、いろいろ副作用について書かれており、すこし心配。
でもマラリアに感染しては元も子もないので来週あたりから服用開始です。
いよいよギニア渡航も近い、という感じがしてきました。

2005年11月30日、この日、ギニア渡航費用を旅行会社に振り込みました。
いよいよ、もう逃げられない、というところでしょうか。

2005年12月6日

いよいよギニアへの渡航用のビザを取得いたしました。
パスポートを旅行代理店に送り、代理でギニア大使館にてビザを発行してもらってパスポートに貼り付けて押印。
なかなかパスポートが返ってこないので心配していました。
週末には出国というのに、本当に間に合うのだろうか、とドキドキしてましたが、なんとか無事にビザを取得。
日本のパスポートを持っていればビザ申請なしに入国できる国が多くなっている今、ギニア共和国は未だにビザが必要です。
わたしは、これが初めてのビザの取得となりました。
ビザと伴にボーディングパスも送られてきました。
これがないと、帰ってこれないので、これだけはなくさないように気をつけなければ・・・
寅さんのように腹巻きでもして、常に持ち歩くくらいの気持ちがあっていいかもしれませんね。
いよいよ、今週末から旅立ちです。準備期間が長くて、「いよいよ」が何度もありましたが、本当にいよいよです。

アフリカ ギニア ボッソウ村での「緑の回廊プロジェクト」滞在記 準備編(11) ギニア行き決まる 松沢先生のありがたいお言葉に身が引き締まる

2005年10月26日、
牛田先生、京都大学霊長類研究所の方からメールを頂きました。
京都大学からもギニア共和国へ行くことになりました、とご連絡を頂きました。
霊長類研究所ではひいきにしている旅行会社があるとのことです。また、ご厚意で私の航空券などの手配も一緒にして頂けるとのことです。
本当にありがたいことです。
ギニアへの渡航はビザが必要とのことですが、ビザが必要な国に渡航したことがない私はどうすればいいのか、
ちょっと頭を悩ませていたところでした。
いよいよギニア渡航が現実味を帯びてきました。

2005年10月31日、
ついにギニア渡航の日程が決まりました。12月11日に出発し、1月16日に帰国することになるそうです。
1ヶ月以上の長期出張。しかもはじめてお正月を海外で迎えることとなりました。
また、京都大学霊長類研究所から資料を頂きました。
松沢先生が執筆された本と、ボッソウ行きのための準備のための情報と準備物などのリスト、
ボッソウでの必要最小フランス語60を頂きました。
何から何まで至れり尽くせりの状態です。少しばかり精神衛生上、心配なところもあるようですがいい情報でした。
必要最小フランス語60についてはほとんど「一応」対応済みです。
しかし、これで気を抜いてしまいそうで・・・

2005年11月18日、大型類人猿に関する発表が大阪芸術大学で行われました。
SAGA(アジア・アフリカに生きる大型類人猿を支援する集い)です(SAGA8自体は18~20日の3日間にわたって行われていました)。
「緑の回廊プロジェクト」の中心を担っておられる松沢先生が来られるということ、
また、私と一緒にギニアへ行かれる方も来られているとのことなので、行くことにしました。
松沢先生のお話によると、SAGAは参加者の善意でなりたっているシンポジウムらしいです。
なんと、交通費も出ないらしいです。
初日は、環境庁の方とトヨタの方がお話になっていました。彼らも、交通費すら出ずに自腹らしいです。
このようなシンポジウムが8年も続いているのは「すごい」の一言です。これも、ひとえに松沢先生のお人柄なんでしょう。
松沢先生は、「チンパンジーのおかげでしょうね」とおっしゃいますが・・・
さて、初日のシンポジウムが終わったあとは先生と一緒に食事に行くことになりました。
大阪といえば・・・「ふぐ」ということで「奴茶屋」というお店へ。
このお店、ふぐでは大阪一番のお店だとのこと。確かに、美味しい食事でした。
ただ、残念なのは先生が若干風邪気味だったこと。体調万全ならば、もっとお楽しみいただけたのではないかと思います。
さて、ギニアでの「緑の回廊プロジェクト」では、できることならいい成果を残して帰ってきたと望んでいるのですが、
松沢先生は、「無事に到着して、無事に帰ってくることが一番の仕事ですよ」とおっしゃいます。
社会的な背景、日本とは異なる生活環境、言葉の壁・・・etc.
これまでは、チンパンジーの研究と伴に植栽が行われるという状態だったのが、
植栽のためだけに日本からわざわざやってくる人間がいるのだ、ということを示すだけでも大きな功績ですよ、とのお言葉。
頑張りすぎて体調を崩すと周囲には迷惑がかかる。
それよりも、健康で、形に残る成果よりも心に残る成果を、とのことなのでしょう。
できる範囲でコツコツと、頑張りすぎず気負わずコツコツと。
ただ、言葉の準備が最近さっぱり、中だるみです。そろそろ、ねじを巻き直さなければ・・・

アフリカ ギニア ボッソウ村での「緑の回廊プロジェクト」滞在記 準備編(10) ソフィ・マルソーに首ったけ

2005年10月18日、ギニア共和国の公用語がフランス語である、ということで慣れない語学の勉強をしている今日この頃。
勉強といっても、語学能力が元々優れているわけではない僕は、なかなか集中して勉強できないし、進まない。
中学から大学まで学んだ英語すら、のつのつとしか話せないし、リスニングがまた弱いのが困ったものなのです。
大好きな007も何回観ても字幕を消すと、ほとんどわからない。
大学時代に学んだ(とはいえほとんどが単位を取るための勉強だけなので身に付くはずもない・・・)ドイツ語もサッパリ。
そんなわたしが、フランス語です。
でも、そんなことを言っていても始まらないので、遅々としてはいるものの勉強をなんとかやっているというところです。
でも、「初めてのフランス語会話」とかいう本で勉強していてもおもしろくも何ともない。
夜に本を開いていると、知らない間に寝てしまっているという始末。
そこで、あるホームページ(フランス語の基本について書かれているページがあるんです)で、フランス語のリスニングにお勧めの映画はこれ、
と紹介されている映画がありました。
それが、「恋人たちのアパルトマン」という映画(語学に疎い私は「恋人たちのアパルトヘイト」といって奥さんにバカにされました)。
この映画の主演をつとめるのが、ソフィー・マルソーという女優さん。
この女優さん、007の「ワールド・イズ・ノット・イナフ」にも出ていた女優さんで、とてもとても背中がきれい。
もちろん顔も素敵なのですが、あの背中がほんとに・・・話が完全に横道にはいってますね。
その映画のDVDを探していたのですが、何せ1995年の映画。まだビデオテープの時代です。
しかも、レンタルビデオには吹き替え版しか置いてないところばかり。これじゃ全く語学の勉強になりません。
そこで、意地でもDVDをゲットするんだと探し求めたところ、ありました。でも、そのパッケージには、「ソフィー・マルソーの痴態」なる文字。
しかも、色っぽいシーンお写真ばかりが並んでいます。う~ん、、この映画って「あっち」系なんだろうか。
微妙に恥ずかしい気持ちもありましたが、開き直って買いました。
そして、家に帰ってすぐに開封。すると、ディスクがピンク色。やっぱり「あっち」系なのかなぁ。でも、せっかく買ったんだからと早速鑑賞。
映画の内容は、何が痴態なんだよ!というもの。ちょっと変わっているけど、純粋な恋愛映画でした。
それにしても、相変わらず(時間的にはさかのぼっていますが・・・)ソフィーは美しい。
いやいや、そんなために買ったんではないんです。忘れてはいけない、語学の勉強です。
でも、悲しいかなわかった言葉は10もなかった・・・なかなか聞き取れないんです、これが。
じゃぁ、フランス語字幕でもう一回観られるところまで観てみよう、と思ったら・・・
フランス語字幕がない。せっかくのDVDなのに、なぜ。
ちなみに、ジェームス・ボンド40周年記念ボックスのDVDは全て英語字幕も観られます。
だから、「恋人たちのアパルトマン」もフランス語字幕くらいはあるだようと思ったのですが・・・。
これは、意地でも聞き取らなきゃいけないってことですね。
そんなわけで、これからしばらくはソフィーにかぶりつきです、あくまでもフランス語勉強のために・・・

アフリカ ギニア ボッソウ村での「緑の回廊プロジェクト」滞在記 準備編(9) 国内での予防接種に挑む 2

2005年10月6日、この日は二回目の破傷風とA型肝炎の予防接種です。
もう、建物を目の前にしても驚かない、2回目ですから。検温、問診、受付を済ますといざ予防接種。
「あ、こんにちは・・・」先日、予防接種をうってくれた男の先生がマスクを外してウロウロしておられ、挨拶をされました。
すると処置室から「こちらにおかけ下さい」の声。今日の先生は若くて、おそらくは美しい女性(マスクしてるから、わからなかったのが残念です)。
「この前、注射の後、具合悪くなりませんでしたか?」「大丈夫です」「え~っと、入院歴があるということですけど、それは・・・」(省略)
「利き腕は右ですか?」「はい、基本的には・・・」「じゃぁ、右腕に腫れにくい方を打ちますから・・・」「じゃぁ、注射打ちますね~」
と、消毒から。そして消毒をしたところ、上腕三頭筋のあたりの皮膚をつまむ。何してるのかと思いましたが、
後日、注射の痛みを感じさせないようにするための処置のようだと知りました。「はい。ちょっとチクッっとしますよ~」の一言の後、「ブスッ」
「あれ?痛い・・・」
これって、皮下注射の方だと思うのだけれど・・・この前こんなに痛くなかったように記憶していますが。
「じゃぁ、左も打ちますからね」
確か、この前は、破傷風とA型肝炎の予防接種の間には結構インターバルがあったような・・・と思いながら再び消毒。
また消毒をしたところ、上腕三頭筋のあたりの皮膚をつままれ、
「はい、じゃぁチクッとしますよ~」の一言の後、「ブスッ!」
「う、さっきよりもさらに痛い・・・」
骨も折った、骨髄注射もした・・・結構痛いことには慣れて、そんじょそこらの注射じゃぁ、「痛い」なんて思わない。
献血だって、痛いなんて思ったことはないのですが、今日のは痛い・・・
そして最後に、絆創膏を貼ってくれたのですが残念ながら場所がずれてました。
若くて美しい女医さんでしたがちょっと残念な思いをしました。
(この日の記事は、まったく意味のない情報に終始してしまった・・・)

2005年10月13日、いよいよ最後の予防接種、黄熱病。例によって高槻予防接種センターです。
さすがに建物をみてももう驚きはありません、なんと言っても1週間前に来たばかりです。
ところが、ドアを開けると、人人人・・・。この前までは、ほとんど人がいなくて、まさに暇そうだったのに・・・。
様子が全然違う。係の人も忙しそうにバタバタ・・・。
例によって、検温して、問診票を書いて・・・でも、受付がかなり忙しそうで、なかなか受付が進みません。
何とか受付が済むと、「あの~、収入印紙ちょうどじゃないんです」
そう、予防接種の手数料は収入印紙で払わないといけないんです。黄熱の予防接種は8530円(2005年当時)。
しかし10円単位の収入印紙ってよほど大きな郵便局へ行かないとないんです。
「じゃぁ、20円を放棄しますっていう申述書を書いて頂く必要が・・・」さすが、このあたりはお役所です。
きっちりしないといけない。申述書を書くと、受付完了。私のの受付番号は15番です。
私の順番の直前の人が、パーテーションの向こうへ消える。パーテーションの向こうから話が漏れ聞こえてくる。
「あの~、先生、予防接種大丈夫でしょうか・・・」「大丈夫ですよ」
「でも、幼児とか高齢の人は気をつけるように、って書いてありますし、注射の後30分は連絡が付くようにと書かれていますし・・・」
「今回の注射は生ワクチンなので、注射をした直後よりもむしろ2,3日経ってからのほうが気をつけて頂きたいんです。
10日くらいまでは無理しないようにして頂ければ大丈夫です」「でも、アレルギーも・・・」
「今回のは生ワクチンなのでアレルギーが出ることはまずありません」「でも、幼児とか高齢者は気をつけるようにと・・・」
予防接種を受けるには、承認書にサインが必要なのです。これがないと、先生も「黙って注射されてりゃぁいいんだよ」
ってな具合に縛り付けて、無理矢理ブスッ、っていうわけには行かないのです。
「確かに、日本でアナフィラキシーショックらしき症例は1例だけありました。
でも、たった1例なので本当に予防接種が原因かすらわからないんです。
でも、日本だけでも何十万人というひとが黄熱の予防接種を受けていますし、世界では何千万人という人が同じワクチンを注射しています。
その何千万という例の中から、幼児と本当の高齢者の方にショックがあったということで注意させて頂いているんです」
「わたしも○○歳ですし・・・」(聞こえないが、60歳を少し過ぎたくらいかと・・・)
「でも、お話を伺っていると運動もされているようですし、それくらい元気な方なら大丈夫です」
(どうやら問診で、何らかのエクササイズに通っているかなにか伝えていたらしい・・・)「でも・・・」
この様子では、僕の順番は回ってこない。
先程まで忙しそうにしていた係の方も仕事が途切れたらしく、ぱちっ、ぱちっ、と三色ボールペンをならして、ボーっとしている。
ちょうど、私も暇だし・・・「今日はお忙しそうですね」「そうですね~」
「私は先週もここに来てるんですけど、こんなに人がいなかったのでびっくりしましたよ」「あ、先週も来られた・・・」
「ええ、A型肝炎と破傷風の予防接種に」「じゃぁ、午前中ですね」「はい。午後からは黄熱だけですか」「ええ、いろいろあると先生も混乱されるので・・・」
「そりゃぁそうですね」「でも、先週じゃなくて良かったですよ。先週の黄熱は40人以上来られてましたから、今日どころの騒ぎではなかったですよ」
「え、そうなんですか。ちなみに今日は・・・」書類をくって調べ出す・・・「28人ですね」
そんなにきちんとした答えは別に期待してなかったんですけど・・・ただの世間話ですから・・・さすがは公務員、きっちりしておられます。
私なら、30人くらいですかねぇ、で済ませてしまうと思います。
「ところで、長谷川さんは収入印紙を買ってこられてたんですね。予約しておけばここの2階でも買えたんですよ」
確かに予約の時に「じゃぁ、収入印紙はこちらでご用意しましょうか?」っていってたもんなぁ・・・
でも、もうすでに買ってしまっていたんです、泣く泣く20円を諦めて・・・

「いやぁ、10円単位の収入印紙ってなかなか売ってないですからね」「そうですね」
「いや、ほんとに申し訳ないです」「そんなに、恐縮して頂くほどのことでもないですよ・・・」
「いやいや、ご迷惑おかけして。システムの問題ですね」

しばらくして、「15番の方」と呼ばれました。最初に予防接種をしてくれた男の先生でした。
あの、きれいなお姉さんじゃなくてホッとしたのがちょっと悲しい・・・
「じゃぁ、左腕に注射しますから、良かったらサインを・・・」
近日中に何回か予防接種を受けているというカルテがあるからか、特に説明もなく、すぐさまサイン。
それから消毒。「じゃぁ、チクッとしますよ」の一言。ちょっとドキドキしながらの注射。
「おぉやっぱり痛くない・・・」腕が違うんですかね~。
「では・・・」
このとき先生は今日初めて顔を上げて私と目を合わす。どうやら、事後説明をしようとしていたらしいです。
「あ、この前私が注射した方ですよね」(この前って、先生に直接注射してもらったのは1ヶ月前です)「あ、はい」
「じゃぁ、この前説明させて頂いた通りですから。あ、いま廊下の突き当たりで渡航先での注意事項とかを説明させて頂いてますから。
もう途中だともいますがこの前説明させて頂いた内容と一緒ですから、入っちゃってください」
廊下に出ると先に出たなかなかサインなさらなかったご婦人が説明に入るために待機中。
(予防接種が終わった人が5~6人集まってグループで説明を受けている様子)
さすがにご婦人よりも先に、しかも途中から参加するのも悪いような気がしたので、待つこと。
そして、僕たちのグループの時の説明には先生が来てくれました。
生ものは食べないように、とか、予防接種の後10日くらいは無理しないようにとか・・・ご婦人に説明していた内容とほとんど同じです。
ご婦人は、先ほど聞かれた話をウンウンと初めて聞く話のごとく目を輝かせながら話を聞いています。
わたしは、「こういう人が一番危ないんだよなぁ、きっと。右から左ですよ、たぶん。
予防注射がそんなに怖いなら、黄熱が伝染しているようなところに行かなきゃいいんですよ。
どうみても「仕事で・・・」って感じじゃないもん」なんて勝手に失礼なことを思いながら話を聞いておりました。
黄熱は生ワクチンなので軽く黄熱に感染した状況になって、それで免疫力をつけるようなのです。
この注射1本で10年間は黄熱に感染しないとのこと・・・。注射から10日が経過すると効果が現れ、証明書も有効となるそうです。
そうです、黄熱の予防接種をうけると世界共通の証明書(イエローカード)が発行され、
場所によってはこの証明書がないと入国・出国できないそうなのでパスポートと同じくらい大事なものとなるんです。
ものをなくしやすい質なので、気をつけないと帰ってこれなくなる・・・

この日は、「仕事じゃない」っていう雰囲気の人が他にもいました。
チャイナドレスよりも激しいサイドスリットが入ったスカート(むしろ、2枚の布を脚の前後にぶら下げた、っていう感じ)、
胸元が大きく開いた服(これまた、1枚の布を上手に体に巻いて、胸元だけは大きく開けた、という感じ)
を着たイケイケの感じの女性も黄熱地域に行くのか~なんて感心しました。
実にいろんな人が黄熱病地帯に行くんだなぁ、と思ったと同時に、自分だけじゃないんだなぁ、と変に勇気づけられた一日でした。

アフリカ ギニア ボッソウ村での「緑の回廊プロジェクト」滞在記 準備編(8) 国内での予防接種に挑む 1

2005年9月15日、予防接種に行くことになり、高槻予防接種センターへ。
できるだけ公共交通機関で来るようにと書かれていましたが、電車で高槻に、といわれてもかなり遠回りになると思われたので愛車で出かけました。
車で来る場合は大阪医科大の駐車場に止められます、とあったので大阪医科大の駐車場へピットイン。
大阪医科大は工事中でしたが、さすがに見るからに立派。
「さて予防接種センターはどこ?」と探していると不安を覚えるような小さな建物。でも、小さな看板が出ているので間違いはない・・・
おそるおそる中へはいると、受付が。体温を測って、問診票を書いて・・・。
今回は破傷風とA型肝炎の予防接種第一回目です。破傷風の予防接種は幼い頃に三種混合でやったから大丈夫、と思っていました。
死ぬまで大丈夫なのかと・・・。
皆さんご存じでした?
三種混合の後、12歳頃に定期予防接種を行い、その後20歳前後までは効力があるが、その後は免疫力が低下するので追加接種が必要なことを。
担当者は、まず12歳頃に破傷風の予防接種をしたという記憶がなく、その上20歳を超えると免疫がなくなりつつあるなんて、恥ずかしながら知りませんでした。
牛田先生は、私の仕事柄、土をさわることも多いので、破傷風はすでに予防接種済みであると思われていたそうです。
ということは、免疫力がない状態で土と戯れていたと・・・ちょっと怖い気もしますね。
だって、知ってました?免疫力が低下するって事・・・10年間隔くらいで追加接種した方がいいそうです。
何はともあれ、予防接種に関する知識を得たことと、破傷風の予防接種ができたことは今回の収穫のうちの一つでした。
破傷風というのは日本でも普通に生息している菌から発病するので、日本在住でも免疫力があったのに越したことはないですからね。

 破傷風の予防接種は皮下注射なので大して痛みもないので、接種されることをお勧めしますよ。ちなみに、お値段は1回3500円(2005年当時)。
人によっては2~3回の接種は必要になりますが・・・でも、支払いが収入印紙・・・これがめんどくさいんですよね。
A型肝炎は食べ物から感染するとのことなので念のために接種することにしました。
これはどうやら筋肉注射だったようで、破傷風の注射と比べると少し痛みが強かったのですが、泣くほどのものではありませんでした。
感じ方には個人差もあるでしょうけど・・・
個人的には小学生の頃脊髄注射をしたことがあり、これより痛い注射というのは経験したことがないもので・・・これはホントに痛かった。
骨折するよりも痛いと思います。最近は(大人は?)麻酔をかけてから脊髄注射をするようですが・・・話がそれてますね。
ここの注射をしてくれた先生は、暇だったのか、破傷風や黄熱病、A型肝炎の英語の論文を出してきていろいろ話をしてくれました。
30分くらい話し込んでいたかもしれません。もしかすると、しばらくの間、体調の変化がないか観察する意味でお話をされていたのかもしれません。
場合によってが、過剰反応する人もいるらしいですからね。いわゆるアナフィラキシーというやつです。
ともかく、徐々にギニア行きの準備が進んでいます。
破傷風とA型肝炎はもう一度追加接種をする必要があり、それが終了してから、黄熱病の予防接種が控えています。
これが終われば、とりあえず体の準備が整うということです。
あ、後一つ、マラリアの予防がありますね。これは、薬を飲むことで予防するそうです。普段全く薬を飲まないので、忘れないようにしなければ・・・

後日談
予防接種を行った翌日、朝起きると腰が痛い・・・もともと腰は弱くて、常に腰痛を抱えたような状態なのですが、いつもと感じが違う。
「怠くて、重い」という感じの痛さ。倦怠感と痛みというところでしょうか。
副作用として倦怠感などがでる事もあるといわれましたが・・・副作用なのでしょうね、これが・・・。
3日くらい腰の痛みがあり、同じ姿勢で長時間いるのが耐えられない。座っていてもダメ、寝ていてもダメ。おかげで、連休はぐったりしてました。
でも、病気になるよりはましですからね。
また、追加接種があるので、場合によっては副作用との戦い(大したものではないですが・・・)があると思うと、少しばかり憂鬱です。

アフリカ ギニア ボッソウ村での「緑の回廊プロジェクト」滞在記 準備編(7)

2005年8月29日
毎日新聞の記者の山田大輔さんとお会いすることになりました。
山田さんはかつてボッソウを訪れたことがある方ということでお忙しい中時間を作って頂いてお話を伺うことになったのです。
松沢先生からお話は伺いましたが、ボッソウについては「緑の回廊プロジェクト」のホームページや、
山田さんのホームページ「進化の隣人と暮らす」(2017年9月現在、残念ながらページは封鎖されているようです)
にて写真を見たくらいで、あまりにも情報不足だったので、
チンパンジーではなく純粋にボッソウの情報を入れるためにわざわざお時間を頂きました。
愛知万博の会場に詰めているとのことで愛知万博会場に行きました。

万博会場に訪れたのは実はこの日が初めて。この日の来場者は15時現在で12万人だそうです。
12万人?そんなに来てるの?
正直、入園料だけでも結構高いと聞いたことがある私はまったく行く気がない、
という状態だったので仕事でもなければおそらく来ることはなかった万博。
そこにそんなに人が来ているなんてちょっとした驚きでした。

それはともかく、山田さんにお話を伺いました。
愛知万博内のプレスセンターでお話を伺いました。
入場の際に【報道関係者】のカードをもらっていたので、なんだか、自分までジャーナリストになった気分です。

「ギニアのボッソウ村は比較的豊かな村ですよ。」

取材で撮ってこられた写真をみせてお話ししてくださる山田記者。
たしかに、村人のほとんどが服を着ているし、履き物を履いている人が多いのです。
人々の表情も豊かで明るい印象があります。

「現金収入は少なくても、食べるのには困らないんですよ。」

とのこと。
なるほど・・・やっぱり食べる事というのは人が生きていく上で根幹に関わることだから、
ここがしっかりしていると余裕が生まれるんですね。
また、週に一度市(マルシェ)が開かれるようで、活発な村。外国の製品もいろいろ入ってきているようです。
中国製が多いらしいですけどね。こんなところにも、中国製とは・・・さすが。
私が想像していたよりもずっといろいろなものがあるんです。
野菜から服飾品、日用雑貨まで。
さすがに日本と同レベルというわけにはいかないのですが、思っていたアフリカとは違う。

「ここでは英語がほとんど通じないのが困りましたね。ほとんどの人がフランス語を使うんですよ・・・」(山田記者)
やっぱりフランス語か、と不安。
「コートジボアールから来ている人の中には英語が分かる人がたまにいるんですけどね・・・」(山田記者)
やっぱりフランス語は必要なのかぁ、とやっぱり不安。
「ボッソウ村という場所はそうそう行けるような場所ではないですから、いい経験をされると思いますよ」
「何か分からないことがあったら、気軽に聞いてください。先生方には質問しにくいようなことでも私になら話せることもあるでしょうし・・・」

新聞記者の方とお話しさせて頂くのはこれが初めてだったのですが、とても感じの良い人でした。
ボッソウ村は人を穏やかにする何かがあるのでしょうか・・・私もボッソウに行くと穏やかな人物になれるのでしょうか・・・。
いろいろな人々に話を伺っているうちに、自分がギニアへ行くのだ、という感覚が強くなってくるような気がする・・・。
それにしても、やっぱりフランス語・・・ここがネックです。
ぼちぼちフランス語の勉強でもしましょうか・・・最低限の挨拶くらいはできるように。
まずはそこからでしょう、ね。

初めてみる万博会場。
人人人・・・とてもパビリオンに行くような気にはなれず、会場をぐるっと一周して帰ってきました。
もったいないと思われるかも知れませんが、残念ながらそんな余裕もなく・・・
だって、ギニア共和国です。それが気になって・・・。

フランス語の簡単な辞書を買いに行きました。
仏和辞書はたくさんあるのですが、和仏辞書というのはなかなかなくて困りました。
コンサイスの和仏・仏和、デイリーの仏英和・和仏英がありましたが、コンサイスには発音記号すらない。
これは大変ですよ。
だって、発音の基本も知らない私には発音記号がないと読めない。
デイリーの仏英和・和仏英は発音記号はなく、なんとカタカナ表記。
でも、読めないよりはましかとそちらを選択。すこしでも、フランス語になじむべし・・・できるのかなぁ。

(続く)

アフリカ ギニア ボッソウ村での「緑の回廊プロジェクト」滞在記 準備編(6)

【京都大学霊長類研究所 松沢先生を訪問する】2005年8月15日 Part2

この日、(松沢)先生にお昼ご飯までご馳走になってしまいました。
犬山の名物らしいんですが、豆腐の田楽の定食を出しているところがあるということで、先生の車で連れて行って頂きました。
結構、有名なお店らしく駐車場は車でいっぱい。お店は古くから営業されているような、まるで町屋のような建物。
その中で多くの方々が食事中。我々もその中に混じって食事を頂きいろいろな話を伺いました。
ギニアでの生活、チンパンジーのことなどなど。松沢先生とお話ししていて、
徐々にギニアへ行くのかなぁ・・・と少しずつ実感がわいてきた。そんな感じです。
松沢先生に別れ際に「長谷川さんは外国語は?」と聞かれ、
「英語は何とかアップアップでも会話ができますが・・・大学でドイツ語は習いましたが会話はとても・・・」
と答えると・・・「向こうはフランス語圏ですから是非ともフランス語に慣れてください」と先生。
フ、フランス語ですか・・・長年学校で習ってきた英語でもろくに会話ができないのに?
習ったこともないフランス語・・・不安だなぁ・・・
でも、「なかなか行けるようなところではないですから・・・。素晴らしいところですよ」とすてきな笑顔で先生に言われてしまうと、
「確かにその通りだなぁ」と思ってしまいました。
でも、フランス語かぁ。語学、苦手なんだよなぁ、と不安がまた増えた気がする一日でもありました。

 松沢先生にはボッソウのチンパンジーに関する論文集と、
松沢先生がお書きになった「進化の隣人 ヒトとチンパンジー」(岩波新書)まで頂きました。
論文集は専門的なもので、さすがに植物に関するところをちょっと目を通した程度ですが、
進化の隣人 ヒトとチンパンジー」(岩波新書)は完全に読破。
とてもわかりやすく、とてもおもしろい本でした。
興味のある方は是非とも読んで頂きたいです。
松沢先生をはじめとして、霊長類研究所の方々はチンパンジーを数えるときには○人と数えておられました。
進化の隣人 ヒトとチンパンジー」(岩波新書)を読むとその気持ちが十分に分かるような気がしました。

テレビで放送されている「志村動物園」という番組を皆さんはご存じでしょうか?
時間的にとてもみられる時間ではないのですが、ビデオを撮ってみています。
チンパンジーのパンくんと犬のジェームスくんのお話ですが、とてもおもしろく、驚きでいっぱいのコーナーがあるんです。
チンパンジーの知識レベルの高さと、想像力の豊かさには驚かされます。
犬のジェームス君もかなりの賢さ・・・ヒトとして見習わなければならないところも多くあるような気がします。
進化の隣人チンパンジー・・・チンパンジーにいつか追い越されて「猿の惑星」のような世界にならないように、
ヒトがヒトとしてあるために何をすべきか・・・少し考えさせられます。
ちなみに、「パン君」は松沢先生にとってNGワードであるらしいです。
研究しておられる方に伺いました。
あれはチンパンジーの知識レベルの高さはうかがい知れるが、チンパンジーがチンパンジーらしく生活できる機会を失っている、
ということらしいです。たしかに、パン君が野生に戻れる気はしませんねぇ・・・。

続く